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ワインや味噌などを発酵させる際、クラッシック音楽を聞かせてあげると味がまろやかでコクのあるものに仕上がるらしい。恐らくこのクラッシックとはバロックやロマン派の不協和音の無い時代の楽曲と考えられる。1、3、5度で構成されている和音は、その周波数においてイーブンな関係にあるので、空気の振動(聴覚を無視して)という面だけにおいてなんらかの良い作用が働くのであろう。知覚をもたない植物などに音楽が作用するという事実は、音という現象が、人間の無意識に及ぼす影響を立証するヒントになるのでは無かろうか? 曲を作るのに、音楽理論を勉強する必要は無く、詩をかくのに文学を勉強する必要は無く、もっとも重要なのはハッキリした個性を主張することのできるオリジナリティ、つまり磨かれた感性では無かろうか?と、いろんな音のストックや経験を頭にため込んできた。この方法で作曲するのは、『神経衰弱』のはじめのように、闇雲にストックをいう曲のテーマにそう記憶のカードをめくる事から始める時間のかかる作業を余儀無くされる。さらに、個性的な詩を書く為に多くの時間を自己探究に割り当てることも必要となってくる。手段としてあえて『知らない』という状態が、『斬新さ』を生み出せると考えた事もあったし、けっして長続きはしなかった独学も何度か試みたりもした。 音楽を志して23年、最近になってやっと音楽を勉強できる機会に恵まれた。とてもエキサイティングなことは、クラスにいる皆が音楽を学んでいるということだ(当然の事だが、、)。みんなで音楽について語り合うのは、とても楽しいし、音楽理論を学ぶ事は、再確認や個人的な発見も多い。音楽というのは実に奥の深いサイエンスだと思う。『神経衰弱』であった作曲も、理論を利用した数学的なものにしてしまえば、量産も、全く違ったアングルから構成を組むことも可能となる。 僕が今通っているシティカレッジオブニューヨークは、ハーレムの丘の上に位置し、音楽部はお城のようなゴシックな建造物だ。かつては、クラッシックの生徒も多かったようだが、今はジャズ系が多い。クラスのあちこちからジャズの演奏が聞こえてきて、とてものどかな雰囲気だ。そのお城の最上階には沢山のピアノやドラムの練習スタジオがあり、午後4時半から11時まで好きなだけ使える。僕は、そこの南向きのスタジオの小さな窓から見える風景が大好きだ。真下に広がるハーレムの町並みの向こうにセントラルパーク、小さく見えるクライスラービルディングにエンパイアステイト。ボロボロのクラッシックピアノをいじりながら何度もマンハッタンを見おろしてしまう。 偶然にも、古くからの音楽仲間も在学してジャズギターを志していて、世代も同じこともあり、自分達の体験してきたロックについての話しにも花が咲く。若いアメリカ人とは共感し得ない共通項が多くあるので、穏やかなキャンパスの空気の中あっと言う間に時間は過ぎていく。我々2人は、80年代のニューウエーブの文字によって掻き立てられた想像力が及ぼした音への先入観という面において共鳴する部分があった。 最近では、アナログ信奉者のレコードは、CDより『クリスピー』な音がするという伝説を裏付けする発見があった。レコードはCDでカットされている人間の聴覚の高音の限界の20Khzを再生している。そしてそれは、知覚できる音以外が人間になんらかの影響を及ぼしているのでは無いかという仮説となり、研究が進んでいる。聴覚を伝って感情にうったえる音楽を、理論的に考える事は夢のない事かもしれないが、理論は知覚という聴覚に作用する。そしてその知覚こそが、己のリアリティなのだ。 モクノアキオの参加するエレクトロプタスははや結成十周年。コンプレックスなパルスを、水をも発酵させるレベルで奏でつづけている。www.spiraloop.com |