寿司初 |
もう10年程前の話しになるが、僕はアッパーイーストに近いミッドタウンにあった「寿司初」という3つ星レストランで深夜のウェイターをしていた。夜の11時から深夜3時までという短時間だったが、結構いいお給料を頂いていた。そこは、ニューヨークタイムスやザガットからもかなり高い評価があった店だったので、多くのセレブが来店した。そもそもこの街には、たくさんセレブが住んでいるので道で見かける事も少なくないのだが、その店には日本の芸能人もよく来た。 僕の働いていた深夜によく来たお客さんは、シェフ、大企業や銀行の駐在員、彼らに連れられて来るピアノバーのホステスが多かった。まだあの頃は微妙にバブルの名残があったから、会社の経費で豪華な接待なんていうのもたまに見かけた。仏料理界のスター、ジャン・ジャルジュやダニエルなんかはほぼ毎週来店してたし、多くの寿司職人も来ていた。深夜のお客の半分はレストラン関係であった。 大将は、10代の頃から浅草でにぎりはじめ、東京オリンピックの年に中野の鍋屋横町に自分の店をもった筋金入りの江戸前寿司職人。魚の事を知り尽くし、シャリの握り具合もすきや橋次郎(食べた事無いが)のような匠の技があった。今横行しているカルフォルニアロールなどの邪道な寿司は一切拒み、江戸前に徹底していた。穴子は東京湾のものしか使わなかたし、本マグロはまる一匹を自分で解体していた。カンパチ、シマアジ、サヨリなど多くは日本から空輸していたものだ。寿司カウンターの上には、かつて築地に通っていた頃の卸業者の名が木に彫り込まれた、昔ながらの千社札が飾られていた。 お客さんは、美味しいものの為ならいくらでも払うといった、羽振りのいい美食家も多かった。僕の場合、従業員割引がきいたので何度かカウンターに座らせてもらった。おまかせでいただいた大将の刺身/にぎりのコースは、味覚で天国の磯辺へテレポーテーションするような幻覚を誘う、非日常的かつ刺激的な体験であった。おひつの中で温かくぽろりとくずれるくらいの柔らかさで小さめに握られたシャリに、 おろしたばかりのまだつめたい旬の魚との温度差が絶妙なのだ。 有名人達は、テレビや雑誌でみるのと違った生の人間としての一面もうかがえて興味深かった。注文をとったり、フードをサーブしたりすると何気にその人の日常を垣間みる事ができた。ちょっとぞんざいな人もいれば、びっくりする程丁寧な人もいる。ロックスターとかが紳士的に接してきたりするとちょっと感動する。しかし、どんな人も大将の寿司を口にすると幸せそうな顔になっていた。 夜中は、ほとんど2人きりで働く事がおおく、暇なときは一緒にピザを食べながら、苦労話とかを聞かせてくれた。ほとんど経験が無く、失敗も多かった僕に文句も言わず、スポンサーになってグリーンカードまでとらせてくれた。寅さん好きで情のあつい大将は、僕の恩人でもあるのだ。2002年に引退して、鍋横に帰ってしまったが、大将の伝説の寿司の味は一生忘れる事はないであろう。
もくのあきおは、ニューヨーク市立大学大学院で、メディア・パフォーマンスの修士課程にいる。最近はシアター系とコラボなどもしながら、バンド活動もつづけている。 |
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