SNSディスオーダー |
「Twitterはドラッグ」。それはサックス奏者の菊地成孔氏がジャーナリストの町山智浩氏に対決姿勢をあらわにした対談依頼のメールを公開したものの中にあったフレーズである。トランプを支持するという菊池氏のエッセイを町山氏がツイートしたのが原因で、菊池氏が反トランプ派から攻撃・揶揄されたらしく、手っ取り早く自分の正当性を語るには公開討論のようなものが良いと思いとった行動のようだ。 しかし、町山氏は、公開していないメールに送りつけられた挑戦状はスルーし、それぞれのツイッター上での公開返答のような状態になっていた。結果から言うと、僕は今回町山氏が行っていたアクティビズムに深く賛成している。現在、カリフォルニア州に住みアメリカ情報を発信している町山氏は、日本の著名人のトランプ支持者のツィートなどを疑問符的にシェアし、事実と異なる情報に警笛を鳴らしていた。有名なミュージシャンや作家などは世論に侮れない影響力がある。そう言った人たちの発言に現地の人間として「それは違う」と言っておくことは、特に選挙前には大切だと僕も思った。 「仮想現実の父」と呼ばれるジャロン・レニアーは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の危険性を早い時期から指摘し、その趣旨の本も出版している。その中で、ツィッターをやり始めてからトランプの性格が酷くなっていったと言う事も指摘している。強烈なドラッグはドーパミン回路を支配し、挙句に根本の脳の構造すら変えてしまう。つまり人格をも変えてしまう危険性があるのだ。思いついたらすぐに発信できる字数制限のある「つぶやき」をシェア/いいね/ディスるなどのリアクションが社会に蔓延する事の危険性は無意識に常用しているユーザーの中ではあまりピンとこないのかも知れない。 僕もFacebookを何気なく始めてから10年以上経つが、初期の頃からの経験で一番やらぬよう心がけている事がある。それはアルコールを摂取した状態で書き込みを(特にポリティックス)する事である。前頭葉が麻痺した状態で発言することは、居酒屋で相手も同じ状態であるなら問題はないが、文字として記録が残るメディアでは間違いが起きやすい。人の心は移ろいやすく、自らが「自分」だと思っている人格は誤解であることが多いと信じているからである。SNSがドラッグの類であるならば、酒とのチャンポンはやめておいた方がいい。 そもそも事実と異なる情報が蔓延しているその世界に、立ち向かっていくことは無謀とすら思う。その世界には原始的で野蛮な匿名達の、取り憑かれたような怨念のパラレルワールドに迷い込み、それが潜在意識に横たわると、世界が歪んで見えてくる。あらかじめ癖になるようにマニピュレートされたメディアの中で洗脳されてしまい、本来穏やかであるべき自分の時間を奪われてしまう。我々の脳の機能はこの5Gレベルのスピードで行き交う情報量を消化できるほどまだ進化していない。 この間、試しに2日だけSNSを覗かなかった。だからか(関係ないかもだが)、大雪なのに何気に散歩したくなり、ふわりと真っ白になった公園で、実に複雑な模様を描く無数の木の枝のトンネルに遭遇し、その美しさに感動した。そしてその後、木材を買ってクローゼットに棚をつけたりもした。スマホを持つとつい(SNSを)見てしまうので、そこは意識的に我慢した。ある程度の情報を遮断すると、メンタルのフローが安定してくる。そしてなんとなく活動的になれる。 で、何が言いたかったかというと、日本でトランプに対しての事実に基づかないファンタジーを抱いている人が多い気がするが、それはSNSのアルゴリズムのせいかもと思った事。そして、そういった事を引き起こすSNSというメディアにおける倫理の不完全性やその麻薬性が人間や社会にあまりいい影響を与えていないのでは無いか。という問題提起を菊池氏と町山氏の一件に感じたという事である。まずは、事実を見極める!それだけのことが、この情報が氾濫しすぎている世界では困難になってしまっているのではなかろうか。 もくのあきおは電子音響音楽家。最近はNYC電子音響音楽フェスティバルの審査員などもしている。 |
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