PICKUP LIVE

Have you ever seen such a cool ×××?
THE JERRY LEE PHANTOM

 最近やっと聞かれなくなってきたけど、東京に引っ越したばっかの時は、事あるごとに「なんで東京じゃなくて、名古屋に出てったの?」って、みんな聞くわけ。そりゃ聞くわな。高校まで長野で育って東京の方が近かったし・・・。まわりの奴がみんな東京に出てくから、俺は違うとこ行きたかったとか(確かにそれもあった)、ほんとは大阪まで行きたかったけど、遠いから名古屋でいいかとか(それもあったような気がする)、だんだん面倒くさくなって、よく覚えてないとか(ほんとに覚えてなかったかも)答えてたような気がするけど、この原稿頼まれていろいろ考えてたら、一番大事な理由もう一個あったの急に思い出した。

 実家の俺の部屋は、壁中いろんな好きなバンドのポスターとか落書きがしてあったんだけど、そん中のひとつに、雑誌から切り抜いた、ブランキーの3人がELLの扉をバックに撮った写真があったのさ。ああ、あったさ。ブランキーが好き過ぎてそう見えたんかもわかんないけど、とにかく高校生の俺は、その「ElectricLadyLand」っていうハコの名前と、入り口の扉のかっこよさに惚れちゃって、絶対ここでライブやりたいと思っちゃったんだよ(って別にいけない事じゃないんだけど)。バカだからそれだけで名古屋行っちゃったんだろうね。でもやっぱ、かっこいい名前のライブハウスで一番かっこいいバンドになりてぇと思うじゃん。こんなかっこいい名前のライブハウス他にある?俺ん中ではダントツだね。

 初めてELLに足を踏み入れたのは、忘れもしないディッセンバーズの初ワンマン。ナカヤン(うちのベース)がジェリーリーに入るまでやってたパンクバンド。かっこよかったなぁ。泥くさい8ビート。フロントの3人のジャンプ。ボロボロの白いコンバース。わかるでしょ?俺も早くああなりてぇと思ったよ。どうなりてぇかって、ELLで一番かっこいいバンドにだよ!

 新しいELL見てきたよ。まだ工事中だったけど。でも完成してるとこが一つだけあってさぁ。何処だと思う?扉だよ扉。今、みんなが大須だよりを手にしたその場所が、なくなるのはすげぇ淋しいけど、あの扉なら納得するよ。だって刑務所の扉ついてんだぜ。かっこいい名前のかっこいい扉がついたハコが、そこにもあったんだわ。これからELLでライブをやるバンドの中で、一番かっこいいバンドになるって事は、イコール、日本で一番かっこいいバンドになるって意味になりそうだよ。

〜Tribute by Myself〜 CLOWLEY,TILT,SNIPER...7月9日ELLがもう一度あの日観た場所になる・・・

 それは、待つべくしてやって来たと言う出来事でした。というのも私が、ELLに遊びに行った5月のある日、「今度うちでクロウリーとティルトのトリビュートやるんだけどどう?あとスナイパーも一緒にね。」

 そりゃもう、えーっ!!って感じ、ここ最近、解散したバンドが、復活やらかして一部分だけかもしんないけど、異常に盛り上がっている話は、良く聞くが、今回のコレに関して言えば僕ら当たりの年代(年もばれるっちゅーの)に言わせると、ついに来たかと言う感じ。それを聞いてから、なんか昔の自分にタイムトリップしちゃいましたよ。

 あれはもう17年前かな、まだまだ10代ばりばりの頃、大学の先輩で、ELLの照明のバイトをしていた人がいました。先輩が、「おいスナイパーっていう凄いバンドがライヴやってるんだけどお前もメタルが好きならいっぺん見に来いよ、絶対損しないから」僕としては、和物より洋物のメタルを聞いてた時期だったし、音源も聞いた事ないバンドを見に行く事に少し抵抗があったのだけれども、やっぱ先輩には逆らえません。同級生はどうやら知ってるらしく一緒に行こうということになりました。

 ほんでもって着いたのが、大須ELL。なんとライヴハウス初心者の僕は、緊張とともに入って行くと、こんな狭い場所に300人近い物凄い数の人、人、人・・・。そうこうしてる内に客電OFF、さっきまで普通にしてたオニーチャンオネーチャン達の恐ろしくも激しい叫び声。曲が始まると共に嵐のようなヘッドバンキング。なんじゃこりゃ、ふと連れを見ると同じ様にヘドバンしてる。気が付くと連れと一緒に最前列にいた。コレは凄いたまらないの連続。でもみんな爽快な顔をしてる、こりゃマジだ。コレはバンドと客との真剣勝負、せめぎあいの結果がこれなのだ。頭の中で何かがショートしておかしくなってしまったような衝撃の一夜があっという間に終わった。

 その後の僕の行動は言うまでもなく、スナイパー以外にも、クロウリー、ティルト、など他の小屋から来るバンドも見に行き果ては、気が付くとバイトしてるはめになってましたとさ。

 その当時すでに、ジャパメタいわゆるジャパンメタルは、東京、大阪はもちろん名古屋でも、全国的にかなり盛り上がっていたわけ。しかしメジャーでない所でね。今から考えるとそれがある意味良かったのかも知れない。僕ら的にはね。でかいホールでは、味わえないあの衝撃的圧力と近すぎる位のあの距離。見に行くというより、体感するといったような感覚。ここら辺のことは、今でも通ずる事だから今ライヴハウスに来る子達は分かってると思うけど、そんなジャパメタが熱かった時代の先端にいたバンドを一度見てみるのも良いかも知れないね。客層はおっちゃん達かもしんないけど。俺もTシャツの着替え持って行ってみるかあ。

HOT SPiCE 7.14 夜逃げ屋本舗 スパイス急便参上!

 ついに思い出の空間になってしまうのだ。とってもさみしいぞ。 我がホットスパイスを育ててくれた。聖地ELLに、感謝を込めて。

 とてつもない数のライブをやってきた。その中で自分にとって、忘れられないライブが何本かあるんですよ。しかもこのELLでしか味わうことができなかったであろうライブ。

 もう10年ぐらい前、9月のはじめフェーン現象だが、台風一過だったので、メチャメチャ暑い日だった。対バンライブだったけど、オレ達の出番の時、お客さんは200人をはるかに超えて、ELLの中は、パンパンにつまってたんですよ。そんでもってオレ達はツアー中で、移動につぐ移動で体力的にピーク。でも雑誌の取材カメラや、某TV局のスタッフも観に来てて、気力と気合いもピーク。

 そんな中ライブがスタート。最初は調子よくぶっとばしていたけど、後半になってきて冬の窓ガラスがくもるように、目の前が時々白くなったりしはじめて、回りの状況が遠〜くなってきたのだ。そう、いわゆる酸欠ってやつ。もう最後の曲にいたっては、ほとんど記憶がなくて、ライブ後30分ぐらいは、動けなかったんですよ。ミーティング前に、客席の床に寝転がった時、タイルが冷たくて気持ち良かったのを今でもはっきり覚えてまっせ。

 色々な事があったけど、ミュージシャン&アーティストとしての、体力をすっげー鍛えてくれた空間だったよ。

 何百、何千、いや何万人もの人々のエネルギーをいっぱいつめこんだ、ELLに心からおやすみなさい。ありがとう。

 新しいELLもまたたくさんの歴史とエネルギーを出しつづけてほしいものです。

(HOT SPiCE なおき)