OOSU PRESS
2001 Oct NO.112

 


テレビで繰り返される映像は、目の前の現実です。
罪もない人々の死にただただ胸が痛みます。
ここにはまだ平和はきていないようです。


ニューヨーク特派員報告
第6回

ブラック・イズ・ビューティフル!!


W1995年の5月から11月末までの7ヶ月ハーレムで暮らしました。正確に言うとワンブロックづれてはいますが、、。W134ストリートのブロードウエイとアムステルダムアベニューの間です。1920年代にビバップで栄えた『コットンクラブ』がちかくにありました。隣には、ホームレスのためのシェルターが建築中でした。僕の住んでいたアパートもハウジングプロジェクトといって、廃虚を住人の手によって住めるよう改造したため部屋が、5つもあるのになんと月360ドルという格安な家賃でした。御近所さんは黒人とドミニカンがほとんど、あたりはヒップホップとサルサとメレンゲと怒鳴り声と銃声?のような破裂音も良く響き渡る騒々しいストリートでした。職のない人も多いようで、なにげに朝から晩までストリートにたむろしている人々も異常に多く、子供たちは夜中でも、走り回ってました。

始めのうちは、そこいらでは東洋人は珍しいので、じろじろ見られたり、からかわれたりしていま一つおちつかないかんじがしましたが、そのうち挨拶しあえるひとも何人かできました。友達?もできました。向かいに住んでいるウイローです。としの頃は僕と一緒くらいで、ドラッグの売人で生計をたてていて、チープなカシオのサンプラーのリズムでヒップホップをつくったりしてました。7、8人くらいの大家族で、階段にはしょっ中ドアの開け閉めの音が響き渡ってました。ウイローは僕が家に帰ったのを察して、僕のドアをノックします。大抵は何か僕に売りたいみたいで、いろんな服を見せてきたりするのです。その頃ぼくは英語もままならずアメリカ人の友達が欲しかったのもあって一生懸命友好的にしていました。

彼の育った境遇について考えました。*1『アメリカ合州国』、『ハールムの熱い日々』等を読み、アメリカに於ける黒人の歴史について考えました。知り合いにもハーレムを愛し、黒人社会に生きている日本人もいます。はっきり60年代まで、有色人種に対する差別があった事を肌で感じました。だからこそブラザーの団結は強いです。

ブラックパワー、ぼくはブラザーになろうと努力しました。ぼくも暇をみつけてはストリートにでてボーッとしたりしてましたが、言葉の不自由な僕に寄ってきてくれたのはウイローだけでした。彼はキューバで少年時代を過ごしていた為、アメリカにきてからの『言葉の障害』を理解してくれていたからだと思います。

僕の知ってる限りではハーレムやブルックリンに住む日本人は、1度はアタックされてます。僕もされました。慣れない道は避けるべきなのでしょう。大抵の被害はお金だけです。抵抗しなければ、、。貧困がはびこってるからなのだとおもいます。しかし、ぼくはいつも思っていたのは、「育ったバックグラウンドが違うとはいえ僕は不法の外国人労働者で安い賃金の仕事しか見つからないけど、みんな黒人とはいえアメリカ人で探せばまっとうな仕事があるじゃないか!!」でも問題はそんな単純では無さそうです。

11月頃、夜中に目が覚めるとすごい煙りでいき苦しく、外に飛び出しました。アパートの住人皆、外にいました。向かいの廃虚が燃えていました。僕らは消防車が去るまで外で震えてました。皆で「大丈夫だから」と励ましあってました。「困ったらいつでも家にいらっしゃい」と声をかけてくれるおばさんもいました。小雨がふっていて、寝巻きのままだったので、とても寒かったのを憶えてます。1時間くらいしたらおさまったらしく、家へ戻れました。その時ぼくはまだ向かいの廃虚に残り火をみたのですが、疲れていたのでそのまままた眠りに落ちてしまいました。しばらくするとけたたましいブザーの音で起こされました。熱い!!窓はオレンジ色でバチバチ音をたてて燃えていました。何とか窓際の財布をとると、大事なものは奥の部屋に移し外に避難しました。悪い予感の的中に怒りを感じながらアパートに突撃する消防士をながめていました。結局窓際は大破、これから冬が来るというときにすこぶる風通しのよい家になってしまいました。

でも、その時アパートの住人みんなで助けあって窓を修復したときのことは今でも忘れられない<思いで>です。ぼくも少しブラザーになれた気がして嬉しかったからです。共通の体験を通して近所の住人と苦しみを共有し、励まし合うことができたからです。しばらくして偽善ぶった白人の持ち主との些細な口論から、そこを去らねばならなくなりました。やっと僕の名前を憶えてくれたウイローが4階から「アキオ!アキオ!」と手を振ってました。真っ青な空の広がる清々しい秋の午後でした。
最近はハーレムは再開発が進んで高級マンションやHMVやら出来てきています。黒人に愛されてるクリントン元大統領も、事務所を建てました。こうした白人資本での再開発や、家賃の上昇に”温かい下町のハーレム人情”だけは失われない事を祈ります。

作者モクノアキオは10年前、"ROOTS”というアメリカの黒人差別を描いたクンタキンテの映画の題名と同じ名前のニュウウエイブバンドのジャンキーボーカリストでした。現在はElectro-Putasというオルタナジャズをやってます。10月はアートリンゼイと共演します。ニューヨークまで観に来てください。
http://www.spiraloop.com

 


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