ニューヨーク特派員報告
第32回

年号の変わる瞬間


かくして、めでたく2004年の幕は明け、我々は輝かしい未来へむけて、またひとつ歳をとる。毎年、この時期になると、日本の正月が無性に恋しくなるのは、アメリカは1月2日から何ごとも無かったかのごとく、動き出すからだ。ホリデーシーズンは新年の幕開けとともに、幕が閉じる。

たった1週間、1日、一分の差で年号が変わり、その瞬間に興奮する人類。アメリカでは、隣にいる人、誰にでも構わず“ Happy New Year!!といって、ハグハグし、喜びを分かち合う。1年中で一番、酔っぱらいが道に溢れかえっている夜だ。

そんな瞬間(年越しの)を、僕は2度のがした事がある。

1回目は、8年前。知り合いの猫の世話を頼まれてブルックリンに少しだけ住んでいた時、友人のフレンチレストランへ向かう途中、乗客が3人くらいしかいない車両で、腕時計を見たら、既に12時をまわっていた…

2回目は、2000年。12月31日に成田へ向けての飛行機に乗った時、僕は、日付変更線を乗り越えたら、飛行機の中で、パーティが始まると期待していたのだが、そこにハッキリ線がひいてある訳も無く、しかも、それを乗り越えた時には、1月1日の昼過ぎになっていて、年越しの瞬間が存在しないのであった。名古屋へ到着したのが、元旦の夜、パーティは既にオーバー。ちょっと切ないミレニウムの初日だった。その後、最初に、小牧空港から向かったのは、10年前に住んでいた今池のアパートだった。

今年の幕開けは、ブリーカーストリートのバーでシャンパンを飲みながら迎えた。相変わらず、あっちこっちが泥酔客で、ごった返していた。しかし、かつての見たように凶暴になっている連中とかあんまり見かけ無かった。最近の統計によると、信じられないことに、ニューヨークはアメリカで一番犯罪率の低い街になったらしい。確かに、9/11を経験したニューヨーカー達はどっかで痛みを共有しているからであろう。

少年期は、岡崎の奥の方にある今は亡き祖父の家で、親戚、親子3代でコタツを囲みながら、『ゆく年、くる年』を見ながら新年を迎えたものだった。
名古屋に住んでいた青春時代、カウントダウンは大抵ELLにいた。高校生の頃は、観にいっていて、20代始めの頃は出演していた。大須観音も近くにあるし、年越しライブにはうってつけの立地条件だ。旧ELLの地下から、表にでた時の元旦の夜明けが、清清しかった事を今でも鮮明に憶えている。
ニューヨークに移り住んでからも、年越しをライブ会場で迎える事は多いが、ELLの年越しの様にオールスターな企画はあまり無い。9年前は、ジェームスブラッドウルマーで、一昨年はフィータスがカウントダウンした。

日本の正月は素晴らしい。日本全国、郵便屋さんと神社と、寿司屋を除いては、合法的に何もせず朝から酒を飲んで、ゆっくりのんびりだらだらと過ごせるからだ。かつて、かつて文明の発達に疑問を抱いていた僕は、心のどこかで、“年中正月精神論”を提唱していたくらいだった。何でも『めでたい!』とすべてを受け入れる事ができる正月の精神は限り無くポジティブだからだ。

日本のように、正月の3が日をゆっくり出来ないのを知り、あらかじめ、12月頭から、ツリーを購入して、飾り付けをし、クリスマスから年の瀬の間をゆっくりするという、アメリカ式の過ごし方に最近慣れてきた僕は、やっと、1月2日の喪失感のようなものをクリアーしつつある。


モクノアキオは名古屋出身で、ニューヨークアンダーグラウンドロックバンド、『エレクトロプータス』のベースボーカル。2004年は素晴らしい新作が発表される!!http://www.spiraloop.com

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