ニューヨーク特派員報告
第155回

「空の上のバースデー」


今年の僕の誕生日は、31時間あった。フィンランドのヘルシンキでその日が始まりニューヨークで幕を閉じたからであった。時差の7時間得をした。飛行時間は9時間だが、フライトが3時間遅れたので、ほとんどの時間を空港と飛行機の中で過ごした。だけど早朝に異国の街を散策し、夜はバースデーディナーもちゃんと食べる事ができた充実した一日であった。

ヘルシンキは目的地ではなく中継地点で、じつは6日程、家庭の事情で名古屋にいた。ヨーロッパ経由で往復しても、戻ってきた時に時差ぼけがあるのかを実験したかったのもあるし(あとで太平洋経由と変らないと思ったが)、その便が一番お値打ちだった事もあってそのチケットにした。行きは8時間、帰りは24時間の乗り換え時間があったので、ちょっとした寄り道気分をエンジョイするにはよいと思ったのだ。

フィンランドといえばサンタクロースとムーミンとサウナ風呂で有名な北欧の寒い国である。ちょうどムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンの生誕100周年のイベントで街は盛り上がっていて、中央駅の近くにあるアテネウム美術館で特別展が開催されており、飛行機の待ち時間にちょいと見に行ってきた。画家としての彼女の初期の作品から、ムーミンが連載されていた雑誌の原画やらムーミン谷のジオラマなど多数展示されており、ノスタルジックでファンタジックな気持ちになった。

7月末の名古屋は蒸し暑かった。でも真夏に帰るのは12年ぶりだったから、それもまた新鮮だった。何よりも感動したのは、蝉の大合奏であった(ニューヨーク近辺には蝉はほとんどいない)。公園のベンチに座りふと耳を傾けると、近くの木から遠くの山の中から聴こえてくる蝉の鳴く声が重なりこだます音風景は、どんなに聞いていても飽きないものであった。近くの草むらからはコオロギの声も聴こえてきた。(親父との)沈黙の多い会話の中でもそういった音が隙間を埋める。日本の自然の中にある音風景は、沈黙の多いコミュニケーションにも風情を盛り込むものだと感銘した。そして、蝉の合奏に深く耳をかたむけると、自分を取り囲む環境の空間認識が独特ものとることにも気付いた。そして、その周波数は僕の聴覚に残像の様に残り、こっちに戻ってきても近い周波数の音を聞くとフラッシュバックしてくるから不思議だ。

帰りのヘルシンキでは、ホテルに一泊した。9時間のフライトで到着するなり疲れで爆睡。部屋にクーラーは無く、蒸し暑かった。夜の街を散策しようと考えていたが、目が覚めたら朝の4時。とりあえず散歩でもと、外にでた。青白い早朝の街と酔っぱらった若者達が広大な石畳の広場でまばらにいた。飾り気の無いシンプルな建築、あちこちを走る路面電車に見慣れないアルファベット文字。北欧のちょっと真面目な面持ちで、でもエキゾチックな街風景に誘われ、街を歩き回ることにした。行き先はシベリウス・モニュメントであった。中央駅から徒歩で約30分のところ。車も電車もまだ走っていない静まり返った街は、広々としてでもヨーロッパの気品のようなものがうっすら漂っていた。朝靄がはっていた港町はちょっと幻想的ですらあった。

出国手続きをして空港の中にはいると、そこはある意味、区切り難い境界線の上であると感じたりする。そこから目的地に入国するまでは、漠然とした国境の状態に近く、移動中の 空の上や中継地点もまたリミナルな空間である。そこは、多国籍多民族が共存する地帯であり、国家や民族の軋轢はなく、人々は旅の途中だ。そういった状況の中で自分はどこにも属することのないインディビジュアルであり続け、1日が前後する特殊な時間空間の中で流れ続けている状態が、心地よいなどと空の上で考えた。そしてJFK国際空港に到着した僕は、迷う事無くフラッシングへ直行し、韓国料理屋で46歳の誕生日のごちそうを食べたのであった 。

もくのあきおは、ニューヨーク市立大学の修士課程で電子音響音楽などの作曲の勉強をする傍らノイズバンドなどでも活動している。

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