ニューヨーク特派員報告
第174回

フォーメーション


2月のアメリカは、黒人歴史月間と言われ、それにまつわる行事がいろいろと行われる。だからというわけでもないが、たまたまSelmaというキング牧師の非暴力的市民運動を描いた映画をみて、あらためて黒人達が体をはって、差別と闘い市民権を勝ち取ってきた姿に胸が熱くなった。2009年から大統領を務めているバラク・オバマも黒人系で、長い間つづいた黒人差別もましになるかとおもいきや、相変わらずポリスによる暴力問題などが絶えず、なんとも人類社会に横たわる偏見の根深さにため息がでる。(挙げ句の果てに日本の自民党のおっさんが、奴隷発言までする始末。)

そんな中、スーパーボールのハーフタイム・ショウでビヨンセが新曲「フォーメーション」を披露し物議を醸し出した。このテレビ中継の視聴率は、米国では日本の紅白歌合戦並で、(ちなみに今年のスーパーボールは46%で、紅白は39.2%とスーパーボールの方が上回っている)子供から大人まで家族揃って楽しむ年中行事なのだ。「フォーメーションを組む」というのは、アメフトでは守備を固めるという意味なので一見妥当なことに見えるが、そのパフォーマンスはブラック・パンサーを彷彿させる黒人女性だけによるダンスチームが団結し、X(マルコムX)の人文字をつくったりして踊るものであった。その公民権運動(黒人解放運動)を前面におしだした政治的メッセージが反警察的であるとされ、のちに警察組合が彼女の警備をボイコットする動きにまで発展している。

なぜ、反警察的という受け取られ方をしているか?これは冒頭でも述べたが、ここ数年Black lives matterとう標語を掲げ警察による過剰な黒人への暴力(ソーシャルメディアへの投稿もよく目にする)に対する市民運動そのものに見えたということであろう。そしてブラック・パンサーは、そもそも、白人社会に諂った警察組織に対する不信感からはじまった自警団であったことも関係しているかもしれない。(まるでどっかの国の国会前のデモを規制する警官や、辺野古基地の座り込みを強制撤去しようとしている機動隊を連想させるが。)

実はこの曲の歌詞、そしてMVにはさらに明確なメッセージが提示されている。興味のある方は、Youtubeやググればいろいろでてくるはずだから、とりあえず軽く説明すると、この曲は、まず冒頭、「ニューオリンズでなにが起こったか知っているか?」という男の声のサンプリングではじまり、水没したパトカーの天井に乗ったビヨンセが映し出される。明らかに舞台は、10年前ハリケーン・カトリーナに襲われた直後のニューオリンズである。低域に住んでいた多くの貧しい黒人達に甚大きな被害をもたらしたこの災害は、社会的弱者がなおざりにされる政府(当時のブッシュ政権)のいい加減な対応を象徴するものでもあるのだ。(まるで大津波で原発がメルトダウンまでして、たくさんの死者が出て、いまだに何万人もの人が避難生活をしているにもかかわらず、ずさんな対応しかできていないにもかかわらず無謀な経済政策ばかり優先させるどっかの政府を思い出させる。)

この一件で、ビヨンセは、警察関係や保守派から抗議されることになり、またそれについてのあらゆる意見がソーシャルメディアで炎上しまくっていた。彼女のアクションはつまり、言い換えれば、(ありえない例だが)忌野清志郎が反原発の歌を紅白で歌ったようなインパクトなのである。この場合、抗議行動を起こすのは、警察組合ではなく、原発利権に関わる組織(巨大)ということになろうが。

日本では、告発する人がなぜか自殺(警察発表)という謎の結末をむかえることもあるようだが、それでも、リスクもかえりみず、つねに社会的弱者の側の先頭に立ち、権力や巨大な組織に異議をとなえる体制を固める(フォーメーションを組む)ことが、社会を進化させつづけるためには必要なのではなかろうか。そんなインスピレーションをこのビヨンセの一件に垣間みたのであった。

もくのあきおは、2月12日に初演されたアンサンブルの曲のタイトルが偶然、「デフォーメーション」だったという電子音響音楽作曲家・ノイジシャン。この場合、電子的に音響空間を変調させる手法をもちいたので、空間を変形させるという意味。

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