夢のツーショット |
佐野元春に会えた。そしてツーショットも撮らせてもらった。これは、僕にとってすごく意味のあることである。関係者から密かにライブの情報を聞き、その日は仕事をすっぽかして駆けつけた。Not Yet Freeという音楽やアートを中心にした文化的イベントのコンサート。1Futureという、はびこる差別、偏見、環境問題や戦争に対するステレオタイプに立ち向かうために組織された活動の一環のようである。その日の対バンは、南アフリカから来た80歳のシンガー、ドロシー・マスカと90年代のクラブシーンで活躍していたDJスリンガーであった。大きなスポンサーなどがついたものではなく(おそらく日本人は対象にしてなかったと思う)、地味な宣伝しかしていなかったからか、余裕で当日券が手に入るほどオーディエンスはガラガラであった。 僕は中学生の時、コンサートの警備のバイトをしていて、運よく、佐野さんの『ロックンロール・ナイト・ツアー』の警備を名古屋市公会堂ですることができた。中学のお昼の校内放送で初めて彼の音楽を聞いて、当時では斬新であったカタカナの多い歌詞や早口の歌い方に衝撃を受けた。そしてその表現の追求やメディアの使い方、社会に対するスタンスに痺れ、ラジオも毎週欠かさず聞いていた。アメリカ文化も彼を通して知った。コンサートの警備をした時、初めて生をみたのだけれど、自分よりずっと年上のお兄さんやお姉さん達の並々ならぬ興奮状態を見て圧倒された覚えがある。それだけでなく、そのコンサートはものすごい熱気で、特にライブ用にアレンジされた曲の数々は強烈にドラマティックで、見るものを巻き込む説得力あるパフォーマンスも最高だった。思春期真只中の僕には、「ああいう大人になりたい」という憧れとなっていた。 だからなのか、昔からよく顔が似ている指摘される。佐野さんの表現者としてのアティテュードは好きだけど、別にああいう顔になりたいと思ったことはない。ただ、今回も思ったが、美学が顔を超えているとは感じる。別に整ったとか、メリハリがあるわけではないが、知性がアーティスティックな付加価値を与えているのであろうか。うまく言えないけど、揺るぎない世界感を具現している人間の顔は漂う雰囲気(オーラ)がそれに勝つのかもしれない。だからこそ、並んで写真をとって、比較したかったのだ。 ビレッジにあるクラブの階段を降りた入り口に彼は座っていた。周りに数人、カメラマンやマネージャーらしき人がいた。こんなに近くで見たのは、1983年に公会堂で警備をして出待ちの客を抑えた時以来であった。あの時、夜なのにグラサンをかけツィードのコートに身を包んだ佐野さんが車に乗るまで「モトハルー!モトハルーッ!」と狂ったように叫びながら突撃してくるファン達を必死に抑えながら、何が人をこんなに狂わせるのかと考えたものだ。そして時は流れ、再び、真っ白な髪を刈り上げた佐野さんが目の前に座っていた。 その日のライブは、井上鑑や金子飛鳥を中心に現地のミュージシャンをバックに従えてのポエトリー・リーディングであった。日本語詞であるので、英語のキャプションが映像とともに流れていた。スーツ姿の眩しい佐野さんは、すごく冷静に言葉の一つ一つをはっきり発していた。果てしなくクールを装うその内側では、何かすごく興奮しているようにも見えた。放たれる、鋭く、存在感に満ちた数々のフレーズは、気持ちいいくらい的をついているように思え、あの頃と同じように興奮した。ああいう初老になりたいと思った。 その翌日は、驚くことに僕の住んでいるブロンクスのアパートの隣にある施設(半分廃墟になりかかっている元老人ホーム)でのライブであった。そこは(何度か書いたが)いつも餌をあげている地域猫のママとスカーが住むところだ。相変わらず、人はまばらで、ご近所(歩いて3分)のジャズ・シンガーのナブコさんがいた。彼女も元佐野信者らしく、同じ昭和43年生まれだと聞いて驚いた。ライブ前、コミュニティが集うちょっとゲットー的で非常にゆるい空気の中、同年代の友人とビールを飲んで夕暮れに差し掛かる空を眺めながら、もしかしたらこれは猫の恩返しなのかもしれないと考えたりした。絶対非公開との約束で撮った写真はお見せすることはできないけど、思春期のヒーローと、同じ時間に同じ場所を共有できた証拠として、ひとつのフレームの中に一緒におさまれたことは宝である。 もくのあきおは、1994年に渡米。電子音響音楽の作曲などをしながらノイズバンドなどでも活動している。 |
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