ニューヨーク特派員報告
第217回

随想November2019


最近、時間が過ぎるのが早くなった気がすると思っているのは、僕だけではないはずだ。地球が一回転、もしくは時計の時針が24周すれば一日が過ぎるわけだが、それらのスピードは加速している可能性がある。あっと言う間に一月が過ぎ、そして一年が経つ。ニューヨークは秋になり、とても過ごしいい季節になった。黄色く色づいた街路樹と曇った空の色彩のコントラストと、そのどことなくコンプレックスな風景は知的好奇心や想像力をも刺激してくれる。

なんか書いているうちに『徒然草』みないになってきた。タイプをする指先の運動からインスピレーションのトリガーを試みながら。ふむ。なんかポエティックになってきた。そう。ニューヨークはそんな実験的なポエットがピッタリである。実験的なポエットといえば(キタ!)、先月、ビートニックの流れをくむ詩人、スティーブ・ダラチンスキーが脳内出血で突然、他界してしまった。

スティーブ・ダラチンスキーのパートナーはゆうこさんと言ってまた詩人である。お二人の姿は昔からあちこちでよく見かけた。ローワー・イーストのアーティスト界隈の象徴的な存在であった。スティーブさんは詩の朗読を、主に即興ジャズと共に行っていた。僕が音響を担当しているイベント、Abasementにもマザケーン・コナーズと一緒に2回出演してくれ魂が揺さぶられる朗読を聴くことができた。亡くなる1週間前にも来てくれた。だからその訃報は寝耳に水であった。

スティーブといえば、友人であったもう一人のスティーブも旅立ってしまった。この訃報もまたfacebookで知り、こういうことが立て続けにあるとdethbookみたい思えてしまった。スティーブは癌だったみたいだ。カンフーをやっていて、昔、道場の一角に住んでいた。一時期、日本語を頼まれて教えていたことがあった。その頃はフルータリアン(果物しか食べない人)で、笑顔の眩しい心優しいラスタマンであった。

そのdethbookは大学時代の知り合いのギタリスト、エドワルドの死も知らせてくれた。日本人女性と結婚して子供ももうけ、長いこと日本で暮らしていた。まだ40歳そこそこの若さだ。何があったかは明らかにされてはいないが、悲しみのコメントにあふれていた。近い友人ではなかったけど、友達の元カレだったし、昔はよく顔を見かけていた。ご冥福を祈っている。

この夏には、友人の愛猫のララちゃんも突然他界した。一緒に病院に連れて行ったすぐ後のことだった。膀胱炎か何かでおしっこがでず、最後は膀胱が破裂して毒が身体中に回ってしまったのが原因であった。その友人は本当に大切に可愛がっていたので、その後のペットロスがとても辛そうで、心が痛い。死は時として突然、訪れることもあるのだ。

飛び込んでくる訃報は自分の身のまわりの人だけではなく、有名人や著名人もここ数年多い気がする。いや、増えたのではない。それは単にインターネットの発達による情報の速さと多さが原因なのだと思う。100年前なそんなにたくさんの人々と同時に繋がり続けることなんて無理だったはずだ。自分の家族や周りの関係者以外の訃報はかなりの時差があって入ってきたり、あるいは知らずにすんだりしていたであろう。

「常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり」と兼好法師が800年程前に『徒然草』で、死を悲しむことは愚かもののすることだと、このように一喝した。いつまでのこのままのはずはない。生きとし生けるもの全て時間とともに老いていく。そんな当然のことをいつも心にとめて、「今」をありがたく思い、生きることを祝福したいものである。

もくのあきおは電子音響を中心に活動する音楽家。最近は元チボ・マットのホンダユカ氏とともにon/in(音韻)という実験的エレクトロニクスのデュオも始めた。

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