思い出ビルヂング |
わが故郷、名古屋は今池にある新今池ビルが解体されているらしいという衝撃のニュースを知った。子供の頃から名古屋を離れるまで、おそらく最も通った、思い出の沢山詰まった鉄筋コンクリート。少年・青春時代の出来事が頭を駆け巡る。あそこが無くなってしまうと、もうその場に立って懐かしむこともできなくなり、やがては記憶からフェードアウトしてしまうのか。と思うと切ない。 1979年、小学校5年生で名古屋に引っ越してきた僕は、その頃の流行りであった切手収集をしていた。その時、ちょくちょく訪れたのが1階にあった新日本切手商会である。星ヶ丘から東山線に乗って来て、切手を購入したあと、隣にあったスガキヤでラーメンを食べていた。そして中学生の頃は、友人と2階にあった今池劇場で『キャノン・ボール』や『エンドレス・ラブ』を見て、「アメリカってワイルドだなあ」と感じた記憶がある。 その同じ映画館で20歳の頃、バンド・メンバーと分裂して、ちょっと鬱気味になっていた頃、『フィールド・オブ・ドリームス』を見て泣いた覚えもある。子供の頃、野球選手に憧れていた主人公(ケビン・コス男)が大人になってから近所にあるトウモロコシ畑で夜な夜な野球を楽しむという(かなり端折っているが)なんかノスタルジックで幻想的な映画が、その頃抱えていた喪失感に突き刺さった。 1階にあったピーカン・ファッヂという中古レコード屋にもよく足を運んだものだった。お買い得コーナーで、カルロス・ジョビンのレコードを五百円で買って得した気分になったこともあるし、お金に困って売りにいったCDを結構いい値段で引き取ってもらったこともあった。ロッティちゃんというおかっぱ頭の女の子が働いていた。ライブのチラシもよく貼らしてもらったものだ。 2階にあった哲学書が多く置かれているウニタ書店は大好きな本屋さんであった。裏口の掲示板に貼られていたイベント情報やシネマテーク情報など興味をそそるものが多かったし、あそこのセレクションは僕の欲していた思想そのものであった。その隣にはその昔、カバラ書店という古本屋もあった。そこもかなりディープな思想書や雑誌などがお手頃な値段で購入することができた。あそこのちょっとカビ臭い古本独特の匂いは今でも嗅覚の片隅に残っている。 1階にあったパチンコ屋では、スロット中毒の時代に、朝から晩まで回るリールを目で追い続けた末クラクラして椅子から転げ落ちたことがある。その後、病院へ駆け込んだら、自律神経失調症かもしれないと告げられた。あの頃はバイトで稼いだなけなしのお金を注ぎ込んでは文無しになって、途方にくれていたこともたまにあった。 高校生の頃は、地下の通路でヤンキーに絡まれてボコボコにされたこともある。ちょっとパンクスっぽい感じでいきがっていた僕に、ライターかなんかを投げてきたから、睨み返したら、数人に囲まれてやられてしまった(笑)。その地下通路にはマイアミコックというとても美味しいカレー屋さんがあって、よく食べに行った。その隣はポルノ映画館で、一度は行ったことがあるが、なんか落ち着かなかった覚えがある。 地下には個室ビデオ・ドリームがあって、そこも何度か利用させてもらった。地下に続く薄暗い階段には小さい便所があって、芳香剤のわざとらしい花の香りとあいまった独特の匂いは、人間の体液を思い起こさせた。 もし舞台に新今池ビルのセットがあれば、これらの出来事に全に曲を付けて再現したオペラができるかもしれない。あの頃の僕のアイデンティティはあのビルなくしてあり得なかった。最後の方は店舗もほとんどなくなり廃墟状態になっていたらしいが、たまにしか名古屋へ行かないからその悲しい姿を見ることはなかった。僕にとってあのビルは昭和と平成の文化と風俗の象徴そのものであった。ありがとう!!新今池ビルディング!! もくのあきおは1994年に渡米以来、ニューヨークを中心に音楽をしている。最近は新型コロナの影響であまりしていないが。 |
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