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JIMI・HENDRIX追悼企画
〜原マサシ(GEORGE PIE)ジミヘンを語る〜

 1970年9月18日オーバードープスによりこの世を去ったロックの革命児、ジミ・ヘンドリックス享年27歳。かれこれ30年もの歳月が経っても彼の偉業は多岐にわたり影響を及ぼし続けている訳だが、当エレクトリックレディランドとしてもアルバムタイトルドンズバの社名がもの語る様に敬愛の念さめやらず。
 そして今回は、ジミヘン好きに間違いないそのサウンドをぶちかまし我々のド肝を抜く、ジョージ・パイの原さんにジミヘンに対する思いを語ってもらいこの頁とさせて頂くこととなりました。

―いきなりですが、ジミヘンに対しての思い入れ等を聞かせて下さい。

原「真剣に答えちゃっていいですかね?『愛』です。」

―言い切りですね(笑)

「もう音が鳴ってなくてもいいんですよ、例えば小学校ぐらいの女の子がキムタクとかソリマチ君の切りぬきやらをペタペタすんのと一緒で、ヘンドリックスの顔写真眺めてるだけでいいんですよね、本当アイドルなんですよ、俺にとって。」

―すごい衝撃の出会いだったんですね。

原「ええ、17歳の時に東京に出て来てバンドやって、最初6人ぐらいでやってたんですよ、その頃はレイナードスキナードやオールマンブラザーズバンドといった、ああいう雰囲気の音をやってましたね。それで18歳になるかならないかぐらいの時にヘンドリックスの『モントレーポップフェスティバル』って映画を見たんです、そしたらこう若い女の子がキムタクとか見て感激するのと一緒で犯されたいと思った(笑)。それでですね、つぎのバンドのリハーサルでドラムとベースを残してリストラしたんです。それでトリオになった。ジョージ・パイ結成のいきさつはこんな感じですね。」

―ミュージシャンとして影響されたところは?

原「それはもう腹の中は真っ黒にされましたね。一番最初にヘンドリックス見たときになんだろう、ステージで踊って音と体が一体になってそれでなんてすばらしいメロディーなんだと思って。はっ、てヘンドリックス見たら片手で弾いてたみたいな(笑)、今となってはそれをどうやってとか技術的な事は分かるんですけど。奏法云々じゃなくてヘンドリックスの場合は音をどうこうじゃあなくて、ビジュアル的にも音楽的にも価値観なんかも大好き、歌ひとつとっても大好きだし。あの人ってSF小説すごい読んでたんでそういう言葉単語なんかも大好き。
 自分達の音を聴いてもらえば分かるとおり影響は多大なんですけど、なんかこう冷静に言えないんですよ、ヘンドリックスは俺にとって以上でも以下でもなくてヘンドリックスで永遠のアイドルなんですよ、だからオバちゃんにとっての美空ひばりであって、で、俺にとってのヘンドリックスっていうものなのかもしれないですね。」

―かなりのほれ様ですね。

原「えぇ、もっともエキゾチックでセクシーで、俺が唯一犯されてもいいなと思う男性ですよ。他の好きになったミュージシャンって音で好きになったのが9割がたなんですよ、そういう音楽的に好きっていうのとは違うんですが、俺にとってのジミ・ヘンドリックスは好きなミュージシャンの一人って以上の存在なんですよ、ジミヘンに影響を受けてますねって言われたらオレは原マサシなんだけど、ジミヘンになりたいっていつも言ってます。あの人本当アイドルなんですよ、アイドル。
 発想とかもステキだと思うし、エネルギーって自分の出したい音楽がまず第一にあって、それを分かりやすくするための解説みたいなものだったと思うんですよ、その為になんとか言葉をつけてとかそういうんじゃなくて。なんかこう東京の言葉で言うと『粋』なんですよね。『粋』でヒップ(笑)。本当にあの人聴いて変わりましたから、いろんな考え方とかも。それも彼亡くなってるわけじゃないですか。30年も経つのにこう離れた島国日本で、こういう風に思ってるガキンチョがいるってね、すごいと思うんですよ。」

―ジョージ・パイとしては?

原「自分達は粋なブルースをガンガン演奏して心のそこから楽しんで、で気に入ってもらえたら酒の一杯二杯三杯四杯とどんどん飲んでもらっちゃって。で、その人の一回こっきりしかみれるチャンスじゃなくっても、いつか思い返った時に『あぁそういえば原マサシって奴のブルースはサイコーだったぜ』っていってもらえたら俺は本望ですよ、目指すとこは『愛』です。いつでも『愛』ある演奏を心がけてますんで。」

 ジミ・ヘンドリックスへの熱い思いを原さん流に語っていただいたわけですが、いかがだったでしょうか?命日の9月18日(土)とその翌日19日ELLでは毎年恒例となりました中野シゲオ率いるバンド・オブ・シゲオロールオーバーによるジミ・ヘンドリックス追悼ライブが2Daysで行われます。ライブの内容は当日のお楽しみとして、さまざまな、そして人々のジミヘンへの思いが正に追悼の意となるであろうこの両日。諸説、解釈云々はおいといて、この日は彼への愛をみなさんぶちかましに来ていただきたい。

 

ジミヘン追悼企画 その2
road Hog ナカムラヨシタカも語る語る

 夏の暑さもピークに達し、水着と普段着の見分けが難しいコギャルの出で立ちも、そろそろ板についてきた。そんな夏の終盤戦、ELLに凄い奴らがやって来る。原マサシ率いるジョージ・パイ、そして意味ありの大御所シゲオ・ロールオーバー。もちろんキーワードは『ジミ・ヘン』だ。彼の没後20年以上経つ今も人気は衰えを知らない。はじめに言っとくけど、俺はジミヘンのファンが嫌いだ。野球解説者みたいにギターフレーズやチョーキングをだらだら語る。そんなファンが嫌いだ。そして俺は原マサシと中野シゲオが大好きだ。ずば抜けたテクニックを持つこの2人は、ジミにうるさいギター狂なんかより、むしろ俺達純粋なロックファンに近い所に居るからだ。気負いのない実にすばらしいミュージシャンだ。実は彼ら2人とあるイベントでジャムったことがある。黄色い声援の中負け時と俺もソロパートをぶん取ったが、徐々にステージの空気が変わっていくのに気づいた。ジミの魂がステージに降りたんだろう。ふとステージ上手の2人に目をやれば、官能の表情で悩ましげなポーズでギターを弾いているではないかっ。セクシーだった。実にジミーだった。そんな彼らには、うるさいジミヘン狂もその口を閉ざすに違いない。

 さて、昔ジミの曲『見晴らし塔の上から』を聞いて学校をサボったことのあるこの俺のバンド、ロードホグは、22日のジョージ・パイとカップリングのライブだ。マサシは俺に「日本一ギターを弾くことが好きでギターを弾いているギタリストだ」と語ってくれた。そうっ!思うに、こういう奴がもっとたくさん出てくれ、この腐った日本の音楽シーンも変わるんだけどなぁ…。

 一方、ジミヘンとは少し距離をおく俺は、英国人が奏でる仮想アメリカ音楽のどこか涼しげな雰囲気が好きだから、みんなにはいつも何かにあこがれてる少年の甘酸っぱさを、ロードホグで味わってもらえたらと思う。そして18日、19日の2デイズは、シゲオ・ロールオーバー。恒例のジミヘン追悼ライブだ。みんな理屈抜きでライブを観て楽しんでくれっ。つまらんウンチクは要らないからさ。だって俺にはマーシャルとギブソンギターがあればOKだし、俺達はカビくさいロック博物館の番人じゃないし、何より自由気ままに大好きなロックしてるだけだから!!