みなさんこんばんは。梅雨に入り、じめじめした日が続きますね。先日、戦慄の事件が起きました。最近僕は木造の古い家に引っ越したんですが、寝ている僕の足を何かが触り、ばっと起きて見ると、聖域であるはずの僕の「無印」のシーツを体長15センチのムカデが悠々とおさんぽしているではないですか。ウルトラ怪獣でしか見た事なかったので、「うっ」と、本気で気絶しそうになりましたが、なんとか掃除機で外に出しました。それ以来寝るのが怖くて・・・。
前回の「異常性愛心理」は、プロローグって感じになってしまったので、今回は続編として、(淫獣ムカドンの出現以上に)戦慄の異常事件を分析し、コモンセンスを創りたいと思います。
犬男の2000年6月 サディズム
昭和7年2月上旬、名古屋中村遊廓近くの納屋で、首がなく、両乳、下腹部、性器がえぐりとられた女性の屍体が発見された。屍は、残されていた恋文の筆者吉田ます江19歳、犯人は宛名の増淵倉吉44歳と断定された。
増淵は、名古屋に女と駆け落ちし、納屋橋まんじゅうの職工長を勤め、その女の所にます江は、お針子として通っていた。女が病死した後、二人は、父娘的情交に入り、そして事件に至った。
2月中旬、日本ライン木曽川の河原で、頭皮が髪とともに剥ぎ取られ、耳も眼球もなく、鼻の半ばと、下顎の一部しかないます江の首が見つかった。半月後、そこから200メートルの、冬の間閉まっていた掛茶屋の中から、死後約1ヶ月の増淵がぶら下がっていた。頭からます江の頭皮をかぶり、右耳を顔につけ、ポケットには、袋に入った両眼球と、左耳を持っていた。冷蔵庫の上に乳房が並べてあり、性器は増淵のカーニバリズムを満たした。
僕は最初これを読んだ時はただ単に「うわ、えぐい」とか「かわいそう」としか思えなかったんだけど、冷静に考えると、なんか二人で事を勝手に始めて勝手に終わってる定型的な狂恋じゃん。恋でおかしくなる事くらいは誰でもあるよね。ただ、増淵の強いサディズムが理性をはるかに越えて剥き出しになってしまったから、死の形式だけ獣的になっちゃった。そこの心理はちょっと重要かもしんない。
人には幼児期に母親の性的不思議を知ろうと、目に入るものすべてを盲目的に解剖しようとするサディスティックな欲求があるんだって。そんで普通は、それを自己分析によって高度な形に昇華してく。例えば画家や医者になろうと言う意欲みたいなものに。しかし、増淵の場合は、自己分析能力が著しく乏しくて「視姦症」も強かったから、その欲求がナマのまま行為になってしまったって事なんだって。
現代の事件で言えば、最近のあのバスジャックの17歳少年。ちょっと太めのGパンはいて、安っちいチェックのシャツ着て、眼鏡に影がさしてて。あんな男の子僕らの周りにもいっぱいいるよね。サディズム的には犬男の方が全然強いと思うし。問題はあの子の周りがあの子のサディズムの強さに気付かず、それを社会的価値のある物に昇華させれなかった事じゃないかと思う。 異常にプライドが強くて、変に理性を育てる事ばかり考えちゃうと、ああいう事件は増えちゃうかもしれない。まじで。
<ご意見、ご感想を下さい。hito-t@abox4.so-net.co.jp>
|