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さよなら西大須ビルスペシャル 7.13 PARALYZE vs THE CHAIN OF FOOLS

ELLが西大須ビルにOPENしたのは1977年。今から22年前です。戦前から建っているといわれているこのビルは見るからに昭和初期ですよね。よく見ると、その辺にはないビルのデザインですよ。 そしてこのビルからたくさんのバンドが大きくなっていきました。もしかしてあなたの大好きなあのバンドも一度はELLでライブをしてるかも・・・ですよ。

 その歴史に今ひとつの区切りがつこうとしています。移転によりELLはこの西大須ビルとお別れすることになります。長年連れ添った恋人と別れをするような気持ちです。西大須ビルのELLに青春の思い出をたくさん持っている人も多いと思います。人人人の中で汗だくになりながら観たライブ、そしてあの暑いステージに立ったことなど、人それぞれですよね。 そこで「さよなら西大須ビル」ということで、ELLの出演歴は最長?現役バンドマン大御所の2バンド、チェインオブフールズのVoしょうじさん、パラライズのチカさんに思い出を語ってもらいました。

PARALYZE
 西大須ビルのELLへ
 2000年7月ELLが新しくなる。同時に今の西大須ビルB1のELLはなくなる。なんかちょっとさみしい気がするなあ。1980年頃、昼間はロック喫茶だったELLに友人3人でおそるおそる入ったのを、きのうの事の様に思い出すねェ。その時若かった(今でも若いつもりですが)俺は「いつか絶対このステージに立ってギターをガンガン弾いてやる」って思って、その日はえらく「コウフン」して家へ帰って、夜中まで何時間もギターを弾いたョ。

  1982、3年頃、ELLのステージに初めて立った。そんでそれ以来2000年7月13日までに、今年で17年目になる「パラライズ」をはじめ、その前の「ブレイン」、「馬鹿」、「瞬間の轍」その他トラ、セッション、イベント、飛び入りとかで、どうだろう100回いや200回以上はELLのステージに立ったと思うなぁ。家に居る時間より長かったりして。

 2000年、今。なんかいろんな事を思い出すなぁ。楽屋とトイレがつながってた事、ELLのカレーライスがうまかった事、ステージの真ん中にせり台があった事、客席から見て右側にある「ElectricLadyLand」の看板が前は左側にあった事、などなど。ちょっとした事も、思い出すと湯水の様にどんどん出てくる。なんかきりがなくなってきた。 1984年から17年目をむかえた我がバンド「パラライズ」はこれからはニューELLで新人バンドの様に(若がえって)ライブをやり続け、「ガンガン、ギターを弾いてやるぞ!」と再び思うのでした。

 2000年7月ELLが新しくなる。そして今の西大須ビルB1のELLはなつかしい思い出になる。最後に俺の息子とニューELLへ「ハッピーバースデイ!」

2000年6月吉日 Chikaより

THE CHAIN OF FOOLS
 何て言えばいいのかよく分からんけど、ここで遊んでいたんだろうなあ、真剣に遊んで、遊び方がうまいと誉められて、ご褒美をもらったりしてさ、でもその分へたくそだったりすると、めちゃくちゃ怒られてなぁ、楽しかったな今思えば。いつもここにいたもんなあ、用もないのに暇だとここに来とった。言うならアジトだった。隠れ家だった。くさい言い方だけど青春の光と影が全部あった。

  ここがなくなるのかぁ。淋しい、感慨深いものがあるなあ、明日からどうしようか?どうやって生きていこうか?おおげさだと言われるかもしれんが、それくらいここには自分の全てがあったなぁ・・・。

  1980年夏、ここに初めて出させてもらった。その頃はまださぁシゲちゃんが自分で8チャンネルぐらいのミキサーでPAやってたりさぁ、もぎりやったりカウンター入ったり、そういえば食べる物もいろいろあったなぁ。毎日ライヴやってなかったし、昼も営業してたし、はじめてここに来たのは17歳の時でさぁ、近くでアクセサリーを作るバイトしてて昼休みはいつもここでホットドックセットとか食べてたなぁ、ロック喫茶だったな、リクエストしてレコードかけてもらったり、階段を下りた所にはさぁJガイルズバンドのサンクチュアリのジャケがかけてあったり、思い出すなぁ、それから一年後にライヴやるなんて考えてもなかったなぁ。

  ここでライヴをはじめて今年の夏で丸20年、区切りのいい所で「この場所での」エルは終わりになる。何人のスタッフがいたんだろう、何人のバンドマンがいたんだろう、何人のお客さんが来たんだろう、電気代はいくら払ったんだろう、そんなこと考えると何かすごい物を見てきた気がしてきたなぁ。最後に、本当にお疲れ様でした。シゲちゃん夫妻はここにきて勝負にでたんだなぁ。今年はオレは思う所があるので、皆さん新しい店でもよろしくね。

 2000年6月 高橋昇士

THE SOUL SPIDERS 岡村の長い長〜い手紙

 ELL7月20日リニューアルオープンと聞いた時何が何だか分からなかった。そしてよく考えてみたら「あーそういえば何か前から移転するやらしないやらいってたなぁ」と思い本当に移転するんだなぁと実感が湧いてきた。

 俺がELLを一番最初に知ったのは、よく音楽雑誌のバンドのスケジュール表などを見るたびに○月○日大須ELLでライブ決定!ELLにやってくるなどといろいろ書かれていて俺はその時「イーエルエル」って何?と知り合いに聞くと「お前ちがうてエルっていうんだよ」と言われたのが初めてで、最初は「ややこしい名前つけやがって」と思っていた。その時俺はいくつだったっけなぁ17才かなぁ。

 元々俺はバンドを小学校6年生の終わりごろに組んで「ホワイトローズ」という今ではすごくはずかしいバンド名で音楽をやり、16才のあたりからバンド名を変更して、今じゃ伝説のスーパーロックバンド(笑)「インディアンコルト」と変え、そして初めてELLのステージに立ったのは18才の頃だった。もうその頃は「ついにこのステージに立てた。あのバンドもこのバンドもここでやったんだぁ」と思いはしゃぐようにライブをやった。けどライブが終わるたびにELLの社長やスタッフらによく反感を買ったもんだ(笑)。デモテープを作ってもってけば、投げられるはイチャモンつけられるわで、その時俺達は「くそおー」と思いつつガンバッたもんだ。

 どうしてもELLでやりたい名古屋のNO1ライブハウスELLでどうしてもやりたいという気持ちがあって、とにかく演奏がヘタでも意気込みだけは買ってもらおうとバンドで合宿などいろいろとやった。そして毎月ライブをやっているうちにELLから「お前らそろそろワンマンライブやるか」と言われ、初ワンマンをやったのを覚えている。バンドでツアーにも出るようになった。そして一番覚えているのがたぶんELLの人たちは忘れてると思うけど、東京ラ・ママもブッキングしてくれたことだ。俺たちは喜んだ、そしてELLに感謝した。そしてバンドをガンバッてきて良かったとつくづく思った。ELLに出てるバンドの人達とも仲良くなった(もともと非常にロックな人しか友達にならなかったけど、今でも)。

 ELLはいいなぁとやっていくうちにバンドのズレが見え始めた。それは俺の音楽性の違いだった、それでバンドを抜けることになりその時点でメンバー同士話合い97年7月14日インディアンコルトは解散した。

 それぞれメンバーはやりたい音楽をやるために他3人は東京へ行き、ベースはバンドをやってるのかやってないのかで、そしてドラムはロードホグというバンドに入り、抜けたみたいだけどね(笑)。あいつらしいなと(笑)そして俺は「スネーキー」というバンドを組んだ。けど俺からしたら本当あそびで作ったバンドだったからもういいやと思いELLで2、3回ライブをやり即解散した。行き場を失った俺は今やっている「ソウルスパイダース」に誘われ迷いもなく加入した。加入したときは回りから「これで3つめのバンドでしょ?3つめのバンドうまく行くんだよ」とよく言われた。(本当かなぁ?)

 そして6月29日「イージーウォーカーズ vs ソウルスパイダース」が決定した。イージーウォーカーズは昔よくELLに来る度に毎回観にいったもんだ。そして対バンできると聞いて、光栄ですありがとうELLって感じ(笑)負けないように演奏しまっせ。最近は何か似たようなバンドでつまんないので、これからは「ソウルスパイダース」が変えてみせるぜ(笑)「狙うは○○の首一つ以上」って感じで。そして最後に7月20日ニューELLが楽しみです。これからも名古屋NO1ライブハウスだと信じてます。そして俺たちも名古屋NO1ロックンロールバンドになりますので、どうか見守っていて下さい(笑)。以上!